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駄菓子「梅ジャム」70年の歴史に幕

小さい頃はよく駄菓子屋に行っていた管理人です。

駄菓子梅ジャムが販売終了するようです。

朝日新聞DIGITAL:駄菓子「梅ジャム」70年の歴史に幕 生産者が店じまい

以下引用-------------------------------------------------------------------------
 駄菓子の定番として長く愛されてきた「梅ジャム」が、昨年12月20日で生産を終えていたことがわかった。
町工場が点在し、路面電車が横切る下町の一角にかまえた自宅兼作業場で、高林博文さん(87)=
東京都荒川区=が戦後すぐの1947年から1人で作ってきた。だが、体調の悪化や販売不振のため、
店じまいを決めたという。

 梅肉を水でのばし、小麦粉をまぜるなどして煮詰めた梅ジャムは、10センチ×5・5センチの小袋入りで、
甘みがなく梅干しのような酸っぱい味が特徴。袋からチューチューと吸ったり、甘い駄菓子の「ソースせんべい」に
塗ったりする食べ方が、子どもたちを中心に好まれてきた。

 価格は1袋10円。昭和40年代に5円から値上げして以来据え置いてきた。幼い子どもでも買うことが
できるように、との思いからだ。

 それでも売り上げは減る一方。3年前に1袋の内容量を15グラムから1~2グラムほど減らし、値上げを避けた。
ピーク時には年間約3千万円を売り上げたが、近年は子どもが減り、問屋や駄菓子屋も少なくなったことなどから
低迷していたという。

 高林さんは25日夜、朝日新聞の取材に応じ、「体のあちこちに痛みがあり、ボロボロ。
70年の節目で辞めようと決めた」と話した。3年ほど前までに内臓やひざ、股関節などを手術しながら
生産を続けてきたが、最近では「できあがった30キロの梅ジャムを運ぶ作業が特につらくなった」。

 14歳で終戦を迎えた高林さんは、疎開先の富山から東京に戻ると、長男として家を助けるため、
闇市でなんでも売った。千葉・浦安まで自転車で買い付けにいったイワシを木箱に並べていた際、
出店用の鑑札がなかったために、露天商に木箱や自身の額を蹴り上げられたこともある。散らばった
イワシを1匹ずつ拾い集めた。「生きるため、必死でした」

 乾物屋の隅にあった形崩れの梅に触発され、初めて梅ジャムを作ったとき、高林さんはまだ16歳だった。
「戦後の貧しい時代に自分には能力も学もなかったが、それでも家族を支えるために必死でたどりついたのが、
この梅ジャムだった」。高林さんはそう振り返る。

 近年、商売も体も厳しくなってきていたが、地元の小学生から「いつまでもがんばってください」と書かれた
作文が送られてくることもあった。そんな思いに支えられてきた。

 「皆さんが長年買ってくださったから、ここまで続けられ、私も家族も生きてこられた。
ありがとうの気持ちでいっぱいです」。笑顔で話した。
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また"昭和"が無くなる・・・。





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